岡田かずのりってどんな人?

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岡田りぽーと

鎌倉市議会議員 岡田かずのりの考えたこと

 学歴:法政大学卒


 場所:鎌倉市


  • 2021年4月25日投票日の鎌倉市議会議員に立候補し、3位/39名で当選しました。
  • いつまでも柔らかな心を持ち続けるよう心がけています。
  • 少年ジャンプの愛読者。
  • 尊敬する人物は大久保利通。

略歴

  • 1950.3.5 福岡県に生まれる。寅年。 (父は愛媛県出身、母は佐賀県出身)
  • 1968 高校卒業後、三菱電機鎌倉製作所勤務。
  • 1982 法政大学社会学部卒業。
  • その後 針灸師免許取得。
  • 消費税や土地問題で市民運動に参画。神奈川県環境学習リーダー 、 かまくら環境会議結成に参画。93年に深沢のまちづくり提案。
  • 95年に鎌倉市都市マスタープラン作成公募運営委員。岡本保育園父母の会 会長経験。96年鎌倉市社会福祉協議会主催の「精神保健福祉ボラン ティア講座」企画運営委員。鎌倉市地域防災推進委員。
  • 1997 鎌倉市議会議員初当選「民主党」所属 28位/30人
  • 神奈川県で初の民主党鎌倉市議会議員
  • 1999.6.30 鎌倉市議会1期3年目で観光厚生常任委員長、鎌倉市社会福祉協議会理事、大船玉縄 議員団団長
  • 2000.6.30 引き続き観光厚生常任委員長、鎌倉市社会福祉協議会理事、大船玉縄議員団長任期満了にて解任
  • 2000.12.15 観光厚生常任委員長、鎌倉市社会福祉協議会理事
  • 2001.4.22 鎌倉市議2期目当選「民主党」所属。8位/28人 5月に市議会会派「民政クラブ」所属。引き続き、観光厚生常任委員会所属
  • 2002.4.1 4月に市議会政務調査費会派「民主党・鎌倉」創設 会派は1人で無所属。総務常任委員会所属
  • 2003.9.10 建設常任委員会へ所属委員会を変わる。建設常任委員会副委員長
  • 2005.4.24 民主党公認で3期目2955票で5位/28人。今年、玉縄議員団団長就任予定
  • 2005.5. 民主党鎌倉市議会議員団結成。観光厚生常任委員会副委員長。玉縄議員団団長。 2006年、任期満了、議員団団長辞任
  • 2007.2. 議会運営委員会委員長。
  • 2008.6. 石渡市政の行政運営に問題ありと一般会計予算をめぐって会派分裂。民主党鎌倉市議会議員団再結成。 3人会派。議会運営委員会委員長辞退。観光厚生常任委員会委員
  • 2009.4.26 民主党公認、第4期目3011票で5位/28人。
  • 2009.5.11 民主党鎌倉市議会議員団結成。4人会派。
  • 2009.5. 総務常任委員会委員長、議会運営委員会委員。
  • 2009.8 民主党4区衆院選で分裂選挙、勝利。あおりで3人会派へ。
  • 2011.4 鎌倉市での県議選で早稲田氏県議へ転籍へ。
  • 2012.11 会派名変更 鎌政会(民主党1人議席により)
  • 2013.4 5期目、民主党ただ一人の公認、1747票で15位/26人。無所属。
  • 2017.4 6期目、民進党での初の鎌倉市議会議員選挙、27位で次点。

私のふるさと

福岡県の筑豊地帯にある、宮田町という小さな町に生まれた。

炭坑町で、今は見ることのできないボタ山が幾つもあった。塩井川という川の上流は澄んでいて、近所の遊び仲間と泳ぎに行ったり釣りに出かけたりした。 近くに山の神があって、春には町内で大人たちが花見を楽しんでいたことを記憶している。

当時は、炭坑地区に職員風呂と工員風呂があり、工員風呂はとても大きく、飛び込んで泳いではしかられた。父は貝島炭坑で働いていて、炭じん爆発後の救助班に編入され、 私が零歳の時に二次災害で失明した。以来、マッサージ師として生 計を立てた。母とよくボタ山に行き、石炭を拾い、冬の燃料の一部 にしたことも楽しい思い出となっている。

後年、ふるさとを求めて何回も帰ったが、そのたびに町の様相は 一変していた。ボタ山は火を噴き、露天掘りが山の神をなくし、その跡は見事な湖となっていた。ただ、川だけが石炭を洗うことから解放されて、下流まで澄んで流れていた。

東京に生まれた人が「ふるさとのある人がうらやましい」と言うのを耳にする。が、ふるさとを思い出すたびに、今も私は胸が締め付けられる思いがする。

出典:私のふるさと(1993年1月26日付け「神奈川新聞」掲載)